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釧路家庭裁判所網走支部 昭和43年(家)107号 審判

申立人 南沢マチ子(仮名) 外五名

主文

申立人らがそれぞれ別紙記載のとおり就籍することを許可する。

理由

一、本件の申立とその実情

申立人らは、主文記載のとおり申立て、その実情として述べたところは決のとおりである。

申立人南沢マチ子は南沢吾一と南沢ミーナの二女として樺太で生れ同地で居住生活してきた者であつて、父母は樺太が日本に領有される以前から同地に土着していた原住民である。

申立人マチ子は、樺太で終戦をむかえ、その後昭和二七年に韓国人である尹幸人と事実上の結婚をし、同人との間に、申立人南沢カツ子、同南沢利治、同南沢モト子、同南沢穂、同南沢昭助を生んだ。

申立人マチ子は昭和三七年にソ連邦の国籍を取得したのであるが、これは、ソ連邦の国籍を取得しないと樺太で生活することができないためやむを得ずにしたことであるし、他の申立人らはソ連邦の国籍取得の手続をしたこともない。

したがつて申立人らはいずれも日本の国籍をもつものであるが、日本に本籍をもたないので就籍の許可を求める。

二、当裁判所の判断

(1)  家庭裁判所調査官の調査結果、申立人南沢マチ子、同南沢カツ子、関係人尹幸人各審問の結果、記録中の引揚者証明書、登録済証明書、出生登録証明書、上陸特別許可証明書および旅券等の資料を総合すると次の事実を認めることができる。

申立人南沢マチ子とその父母との身分関係、および申立人南沢マチ子とその他の申立人らとの身分関係はいずれも申立の実情に記載されたところと同一であつて、申立人南沢マチ子の父母南沢吾一、南沢ミーナは樺太の原住民(オロチヨン人)として樺太が日本に領有される以前から樺太に居住していたものである。

申立人マチ子は終戦後の昭和二七年に樺太において朝鮮人である尹幸人と事実上の結婚をし、(ソ連邦の婚姻の方式である婚姻登録をへていない)しばらくの間上記の父南沢吾一およびその家族と生活を共同にしていたが、その後昭和三三年中に父家族が日本に引揚げてしまい、申立人らだけが引揚げができないで樺太に留まることになつた。

申立人マチ子は、終戦により樺太がソ連邦の治下に入つて以来引続き日本に引揚げたいとの切実な希望をもち、しばしばソ連政府機関に帰国の嘆願を続けてきたが、同人の父達家族が引揚げた昭和三三年頃以降は、その後の日本への帰国はないという返答であつて、帰国実現の見込みは全くない状態であつた。

その当時申立人マチ子は申立人南沢カツ子、同南沢利治、同南沢モト子の三人の子を抱え、前記尹幸人の収入により生活していたが、ソ連邦の治下に入つて間もないため、ロシア語の文字が全く分らず、また日常の会話にも不便を覚えていたうえ、ソ連邦の国籍をもたない樺太原住民については居住旅行など、生活について地域的制限が加えられたり、病院における治療についてもソ連邦の国籍を有する者に比べて低く差別されたりして日常不安を感じながら生活しなければならなかつたし、一方、ソ連邦の国籍をとればこのような不安の大部が除かれるうえに子供の養育費の支給を受けるという利点もあつた。

そこで申立人マチ子は、日本への帰国の見込が皆無に近く、長く樺太に居住しなければならない境遇を思い、自分と子供らの生活上の不安から免れるにはソ連邦の国籍を得るほかないと考え、昭和三七年頃ソ連邦の国籍を取得するよう勧誘にきていたソ連邦政府の係官から、その手続に関する書類(ロシア語で綴られており、マチ子はそれが国籍取得の書類であることは分つたが内容を理解することができなかつた)に自分の署名をして提出し、これによつてソ連邦の国籍を取得した。

しかし、右国籍取得の手続をするに当つて、書類の内容を理解できなかつたので、申立人マチ子が上記の署名により、書面の形式上自分のほかにその子である申立人カツ子、同利治、同モト子の分をも兼ねてソ連邦の国籍を取得するための手続をすることになるかどうかについての明確な認識がないままに前記の署名をした。

申立人マチ子はソ連邦の国籍を取得した後、申立人南沢穂、同南沢昭助を生み、以上の申立人である子らとともに樺太で生活していたが、昭和四三年二月二七日念願の日本への帰還がかない、特別上陸の許可を得て肩書住所に落着き、その後は日本に永住することを希望して現在にいたつている。

申立人マチ子は上記のソ連邦の国籍取得手続のほかには申立人らのために同国の国籍取得の手続をしたことはない。

しかして、申立人らには日本における本籍がない。

(2)  申立人らが本件の就籍許可の申立をするにいたるまでの経過は以上のとおりである。

そこで、以上認定の事実に照して、申立人らが日本の国籍をもつものかどうかについて検討をするのに、申立人マチ子は旧樺太土人(オロチヨン人)に属する者であつて、終戦前までは広義の日本人として取扱われていたものであり、平和条約(昭和二七年条約第五号)の発効により、南樺太が日本の領有に属しなくなつた後においても、そのことだけでは広義の日本人としての地位を失わなかつたものであつて、むしろ同条約発効後は日本人として日本の国籍法および戸籍法の適用を受けるべき地位を有するにいたつたものと解される(昭和四一年三月三日、法務省民事(二)発第二三二号回答参照)。

申立人マチ子は昭和三七年にソ連邦の国籍を取得したのであるが、その当時同申立人には、事実上の結婚関係にあつた朝鮮人尹幸人との間に、上記国籍取得より先に生れた申立人カツ子、同利治、同モト子の三人の子があつたので、これらの子らはいずれも申立人マチ子の嫡出でない子として、出生により、日本人たる地位を取得していたものと考えられる(朝鮮人尹幸人との結婚については婚姻挙行地である樺太に行われているソ連邦の法定の婚姻方式である婚姻登録をへていないので、事実上の結婚関係にあつたものと解するほかはなく、上記三人の子らは申立人マチ子の嫡出でない子とみるべきである)。

そして、上記三人の子らについては、申立人マチ子が、自分についてソ連邦の国籍を取得するときに、上記三人の子らについてのソ連邦の国籍取得の趣旨をも兼ねて手続をしたものと明認しうる的確な資料はないのであるが、ソ連邦致府機関の発行した旅券に、同人らがソ連邦の国籍を有する旨の記載があること、また、申立人マチ子が上記の国籍取得の関係書類にその詳しい内容を知らずに署名したこと、当時マチ子に未成年の上記三人の子があつたこと、上記の手続のほかには三人の子のために国籍取得の手続をしたことがないことの各事実から推すと、上記三人の子についても申立人マチ子の前記手続によりソ連邦の国籍取得が行われたものと推察することができる。

申立人穂、同昭助はいずれも申立人マチ子がソ連邦の国籍を取得した後に嫡出でない子として(その理由は上記と同様である)出生した者であることは明らかである。

(3)  ところで、申立人マチ子および、申立人カツ子、同利治、同モト子がソ連邦の国籍を取得したことに伴い、それぞれ日本の国籍を失つたものであれば、同人らの本件申立は前提を欠くことになり、また日本人でない母マチ子から、非嫡出の子として生れた申立人穂、同昭助も日本の国籍をもたず同様に本件申立の前提を欠くことになるのに反し、逆に申立人マチ子、同カツ子、同利治、同モト子がソ連邦の国籍を取得しても、これが同人らの日本人たる地位に影響を及ぼさないものとすれば、同人らはいずれも日本の国籍を保有することになり、また日本人である母から非嫡出の子として生れた申立人穂、同昭助は国籍法第二条第三号により出生によつて日本の国籍を取得したことになる。

一、そこで、次に、上記の申立人マチ子、カツ子、利治およびモト子がソ連邦の国籍取得により、日本の国籍を失つたかどうかについて更に検討を加える。

先ず、申立人マチ子がソ連邦の国籍を取得するに至つたのは、ソ連邦の法律により当然に国籍取得の結果を生じたのではないし、またソ連邦政府機関または第三者の強制のもとで国籍を取得したのでもないことは上記の事実に照して明らかであつて、むしろ表見上は同人が自己の自由意思に基いてソ連邦の国籍を取得するにいたつたのではないかとみられる余地さえ窺われるところである。

しかしながら、上記認定の国籍取得手続をするにいたつた経過から考察すると、申立人マチ子は、終戦後にわかにソ連邦の治下に入り、ロシア語には全く文盲であつたうえに、ロシア語の日常の会話も充分にこなせず、上記幼少の三児を抱えながら、ソ連邦の国籍をもたないことによる、上述のような種々の差別的な取扱を受けて、そのための不安な生活を余儀なくされていたこと、さらにこのような状況から脱するためにも、日本へ引揚げたいという切実な望みを持ち続けて、そのための努力を傾けて来たのに、共に生活して心の支えともなつていた父およびその家族が日本に引揚げてしまい、申立人マチ子とその子供らだけが異郷にとり残されることになつたばかりでなく、その後は引揚の見込が全くないことを知らされるに及んで引揚についてのいちるの望みさえも断たれるにいたつたこと、申立人マチ子がソ連邦の国籍取得の意思を固めたのは、所詮引揚げの見込がなく永く樺太での生活を余儀なくされるとすれば、上記のような生活上の不安から免れるためにソ連邦の国籍を取得するほかに途はないと考えたうえでのことであることの諸点を考慮するときは、以上のような境遇のもとでは、申立人マチ子がソ連邦の国籍取得手続をしたことにはまことに無理からぬものがあり、むしろそれをしないことを期特することは困難であつたとさえ考えられる。

したがつて、申立人マチ子のソ連邦の国籍取得は、これについてソ連邦政府機関、その他の第三者からの強制があつたわけではないけれども、上述の特殊環境のもとでなされたものであつて、同人の自由な意思に基いてなされたものと解するのは酷であり、国籍法第八条の「自己の志望によつて外国の国籍を取得したとき」に当らないものと解するのが相当である。

二、申立人カツ子、同利治、同モト子のソ連邦国籍取得については、申立人マチ子の同国国籍取得と同一の機会に同一の環境のもとで同人の手続によつてなされたものと推測されることは上述したところから明らかであるから、上記と同じ理由によつて、これらの申立人のソ連邦国籍取得もまた国籍法第八条所定の場合に当らないと解される。

三、したがつて、申立人マチ子、同カツ子、同利治、同モト子は、いずれもソ連邦の国籍を取得したのにかかわらず、日本の国籍をもつものであるし、申立人マチ子を母とし、その嫡出でない子として生れた申立人穂、同昭助は出生により日本の国籍を取得したものというべきであり、なお穂と昭助とについてはその後日本の国籍を喪失するにいたつたと考えるべき事由も見当らない(申立人穂、同昭助の旅券には同人らがソ連邦の国籍をもつ趣旨の記載があるが、これはソ連邦政府機関の取扱いでは、同人らは母マチ子がソ連邦の国籍を取得した後に生れたので、当然にソ連邦の国籍を取得したものとされたと推察されるのであつて、これによつては自己の志望によりソ連邦の国籍を取得したという、国籍法の上記条項に当る事由があつたものと認めるための根拠としては不充分であるし、申立人マチ子、参考人尹幸人審問の結果によれば、上記二人の子についてソ連邦の国籍取得の手続をしたことがないと述べているのであつて、これは上記の推察の裏付けとなると考えられる)。

したがつて申立人穂、同昭助もまた日本の国籍をもつものであることが明らかである。

(4)  そして申立人らには日本に本籍がないことは上述のとおりであるから申立の趣旨のとおり、就籍を許可すべきものと考えられる。

よつて、本件申立を認容し、主文のとおり審判する。

(家事審判官 伊藤豊治)

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